初めてのお葬式(その3)

葬儀当日。

車で行かないと手間なところに斎場はあった。こじんまりとした建物で、早く着きすぎたので近くのコンビニで弁当を買い、車内で食べた。
しばらくすると斎場の方が気が付いたようで中で待つように案内された。
ホールに入ると、担当者が出てきた。私は初めて会うが、30代くらいに見える。
さすが手慣れた感じだ。
今日の内容の説明を受け、その後の役所などの諸手続きなどが記された小冊子をもらった。
その場で現金で払った。257,500円、エバーミング45,000円込み。
遺影だが、フォトショップで修正したのか、マスクの部分が綺麗に無くなっていた。
わざわざ外注するとも思えないので担当者が修正したのかもしれない。
フォトショップが使えないと葬儀屋の担当者は無理な時代なのかな。
ソープのボーイが転職するにはよいかも。こちらも画像修正は慣れていそうだ。
早速、2階のホールというか小部屋に案内された。エレベーターが奥に長く、遺体を運ぶことを考えているのだろうなと思った。中に入ると空調が効いており、ヒンヤリとしており、納棺師2名がいた。
台の上に母が寝ている。リアル死体を見るのは初めてである。
死装束を着せられて台の上に乗っている。トラウマになりそうなので怖かったが、近寄って顔を見たが、不思議に怖いという気持ちはなくなった。
確かに化粧をし、髪も整えられている。
父も「今すぐ目を開けそうなんだけどな」と呟いた。
病院で見た時とは違って大分きれいになったとのこと。
納棺師から、末期の水について説明があり、口元を水で湿らすという。大きな綿棒みたいなのが出てきた。これを湿らせて唇につける。
話は知っていたが、無論やるのは初めて。まずは父から行う。
次は私。化粧が落ちても直すとのこと。
ふにゃっとした印象。
次に、遺体の足の足袋のひもを締めてもらうとのこと。締め方を指示され、父と片側ずつひもを締めた。小柄な母だが、こんなに足が細かったのかと思った。
その後、棺に納めるとのことで、遺体の持ち方を指示され、納棺師と一緒に遺体を棺に納めた。
遺体の下に取っ手が4か所ある布が敷かれておりこれを握って持ち上げる。
その後、「最後ですし冷たいですが、手を握ってみますか」といわれ、父と片手ずつ握る。
冷たく、フニャフニャだった。
その後、花籠が出てきて、花を棺に詰めた。センスの良い詰め方とかよくわからないが、とりあえず、上半身から下半身まで埋まるように詰めた。
父が「紫色の花が好きだった」という。知らんかった。
記憶がうろ覚えなので、順序が逆かもしれないが、線香とおりんの台が出てきて、焼香した。
葬式に出たことがないので、やり方がわからず、とりあえず、父を先にやらせて、見よう見まねで数珠を持ってやった。まあいいだろう。
しばらくその状態で、担当者、納棺師は下がり、二人きりになった。
病気持で昔から大変だったという内容だった。
よく見ると仮に作られた位牌の年齢が間違っていることに父が気付き、事務所に言いに行った。
忙しいのだろう。ファイルの使いまわしで、別の人の年齢が間違っていたら笑える。
先ほども言ったように父方の実家が寺だから父と母の戒名は既にできている。
たった3文字であるが、実家の寺がフランチャイズ元に寄進したようで、その流れでフランチャイズ元の人に作ってもらったらしい。
30分くらいだろうか。担当者がやってきて、棺桶のふたを閉じるとのこと。

担当者と3人で閉じて、上に花束が置かれた。
その後、担当者が下がり、また二人きりになった。大した話はしなかった。
再び、担当者が来て、出棺の時間だという。説明を受けた。
二人でエレベーターで下がると、寝台車が到着していた。
今回の火葬式というプランだと寝台車だそうだ。もう少し金出すと霊柩車が来る。
寝台車と霊柩車の違いをここで初めて知る。車自体は「ああ、あれか」というデザインだ。
追って、エレベーターで棺が下りてきた。
担当者と一緒に、棺を寝台車に押し込む。一礼する。
工場で見かけるローラーみたいなのがついており容易に押し込むことが出来る。後部座席は一名分の椅子が有りその脇に棺が押し込まれる。
父は寝台車に乗り、私は自分の車で後をついていくことで火葬場に行くことになった。
直線距離としては近いのだろうが、道がないのかだいぶ遠回りをして火葬場に到着した。
公園と一体整備した感じの場所に見える。
担当者から指示を受け待機をして、その後、最後のお別れをする部屋に行った。
まあ、いかにもという天井が高く、石と金属で作られたクールな内装だった。
背もたれが極度に高い椅子が数客、置かれていた。
棺が電動リフトで運ばれてくる。
ここで、焼き場の担当者から説明を受け、焼香と、最後の確認をした。
線香は斎場のものはよくある棒状のものだが、こちらのものは粒状のものだった。そんな形状があるとは知らなかった。
で、焼き場に移動する。隣の部屋だ。
棺を納めるゲートが8ゲートくらいあったと思う。
「~家」と表示できる液晶パネルがゲートの隣にあり、そのパネルの辺りに遺影と位牌が置かれた。
3ゲート使用中だった。
最後に遺影と名前の確認が行われ、いよいよ棺がゲートに押し込まれる。
焼き場の担当者は何かするたびに遺体に一礼している。
手慣れたものだし、礼の姿勢もスマートだ。
ゲートに押し込まれたのち、担当者が現れ、待機用の待合室に案内された。
30人ほど収納可能なスペースで窓の向こうは庭園だ。
場所柄シンプルな庭園だ。
誰も呼ばないので、2人で1時間半ほど時間を過ごす。
ちなみ流し台があり、冷蔵ケースにはビールがあった。
告別式の時酒を出すケースもあるので、それ用だろう。
さすがに父は様子が変だった。しんどいだろう。
以前、母が「もう一人子供を作っておけばよかった」と話していたそうだ。
私は兄弟はいないし、父が旅立てば一人になってしまうということを案じたのだろう。
二人いれば両方とも高齢独身でアウトだとあまり意味はないかもしれないが、片方がまともであれば、少しはリスクヘッジになったということなのでしょう。


担当者に呼ばれて、先ほどのゲートのある部屋に行く。
ゲートオープンでお骨と対面。これはインパクトがあった。焼いたのだから当然なのだが、初めてだし視覚的なインパクトがあった。あばら骨とかは無かったが、足や腕の骨は結構残っていた。
頭蓋骨は上と後ろ辺りと思われるものが見えた。
父の様子がかなりきついように見える。
焼き場の担当者より収骨の説明を受ける。
大きな箸が渡され、二人で拾い上げて骨壺に入れる。
脚から入れる。焼き場の担当者から、どこの骨か都度説明が入る。
重いとか、硬いとか、つまんで骨壺に入れる感覚は感じなかった。
ある程度入れるとその後は焼き場の担当者が入れる。
さすが手慣れたもので、小さい破片もスイスイと入れる。
頭蓋骨だけ残されたが、喉仏は首の第二頸椎という説明を受ける。知らなかった。これも焼き場の担当者が骨壺に入れる。
火葬許可証についての注意があり、これがないとお墓に入れられないという。
骨壺の入った箱の中に入れられた。
これで終了。
すかさず葬儀社の担当者が来て、骨壺を運ぶ。私は遺影、父は位牌を持ち、駐車場に向かう。
ここで私の車に骨壺を置き、追って後飾りの祭壇を持ってくるので一旦失礼するという。忙しい仕事だな。
49日という言葉を知っていても、49日まで墓に入れてはいけないことを初めて知る。そんなものだ。
車の中で父は骨壺に向かって「もう帰るからな」と何度もつぶやく。
幸いに我が家は毒親、破綻家庭ではなく、冴えない家庭で夫婦仲が良いとは思えなかったが、さすがに父の精神が不安定になっているのがわかった。
帰りの道の中で、なんてことはない郊外型大型商業店舗を見るたびに「この店はよく行った」、「この店は肉屋が良かったと言っていた」とか都度話始め、話が止まらなくなっている。
私は聞き流すだけだった。
自宅につくときに車の中で近所に知られたくないから玄関に横付けしろという。
まあこちらはご勝手にという感じ。

早速、身の回りの整理を始める。
とりあえず身近にある母の服などは処分しないといけない。
資源物回収の日に出すことができるよう指定袋に詰める。
財布も確認する。
父が母の口座の暗証番号のメモがあったはずと探すがないようだ。
あ、dカードがある。ドコモの毒牙に引っかかって、「らくらくスマホ」を持っていたんだよな。
私はやめろと散々言ったのに。
ドコモショップのお姉さんの指導が良かったと言っていた。
でも、時折わからないので、私のところに教えろと持ってくる。ご存じの通りあのスマホはアンドロイドの上にランチャをかぶせたようなもので、正直言って、素のアンドロイドを使っているととても分かりにくいのだ。
結局、うまく教えられないことのほうが多かった。
Googleアカウントもパスワードがわからなくなって何度も作りアカウント確認でループとかいろいろあったことを思い出した。
dカードも作らされたんだろうな。
免許証が出てきた。これも警察に持って行かないといけないが、免許証のカバーに、私の赤子の時の写真と二十歳のころの写真を顔だけ切り抜いて入れられていた。
こういうのを見ると母だなあと思う。
高齢独身低スぺ零細企業勤務で申し訳ないと思った。
さらに衝撃的なものが見つかった。交通安全協会の会員証である。
「あれに入っていたのか・・・・・」
免許書き換えの時に勧誘の時間がわざわざ設定され、冴えないおじさんおばさんが、「どうせ入ってくれないだろうな」と思いつつも早口で説明をするアレである。
昔から「あれに入る奴っているのだろうか。警察官とか役場の職員などはノルマで入らされていそうな感じ」とくらいしか思っていなかった。
これからいろいろな人生の終了処理の手伝いをすることになるが、なんか出てきそうだなと思った。


葬儀社の担当者がやってきて後飾りの祭壇を持ってきた。49日過ぎたら取りに来るという。
さっさと組み立てて、骨壺と遺影、位牌、おりんなどを載せて終了。
父が花買ってくると言って買ってきた。
自分で鋏を使って花を切る。こんな風景を見たのは初めて。
早速、線香をあげる。ろうそく立てもあったが、電気式のろうそくではないので使うときは注意するように言う。
今度は父が墓に入れるときに呼ぶ坊主をどうするかという。
要するに葬儀屋を通すか、霊園に言って手配してもらうかとのこと。どちらがいいのか知らない。
お布施は45000円。霊園だと35000円らしい。
本位牌は頼んだようだ。
我が家は生前に墓を買っていたのでそこに入れることになる。
私は手間がかかるので墓など買わずに、骨壺を押し入れに入れておけばよいのではと思っていたのだが、父が買ってしまった。これがまた不便なところ。
一度行ったことがあるが、地形としては谷津で、近くに高圧線が走っており、使えない土地を霊園に仕立て上げたのだろうなという感じのところだった。
入れるときにまた金がかかるという。勝手に蓋開けて入れるというわけにはいかないようで坊主丸儲けだなと思った。

供え物が何もないのも寂しいが、今日は忙しく飯も炊かず、二人でうどんを食べて終わりにしたので何も備えるものがない。悪いのでみかんを載せておいた。
いつも体が悪く、昔から食べられないのか、小皿一皿、二皿のような食事が多かったことを思い出す。
最後に自宅に戻った時も退院したとは言いつつも、水を飲んで寝ているだけだし、「18日で出されてしまう」と呟いていた。
ネットで調べてみるとこの辺りの理屈なのかなあと思った。

ichiba-md.com


診療報酬制度の兼ね合いで一定期間で出されたのかと思う。実際にその数日後に検査で来てくださいという話だった。実際にはそれも出来ずに緊急搬送されたわけだ。
コストカットありきの制度に見える。
この制度に殺されたのではないだろうか。そういう感じはある。
手術が突然中止になった件も気になってしまう。

そういうわけで、就寝。