給料が上がらないのに、物価が上がっていて大変だ。
とは言いつつも、私が勤める零細企業は定期昇給もない悲惨な会社なのだが、そんな会社でも何故か今月、基本給が一律引き上げられるという異常事態があった。
まあ、それだけこの物価高は尋常な事態ではないのだろう。
そりゃそうだ、金融緩和から金利引き上げ、戦争、コロナと何でもありだったのだから。
さて、電気代が高いのは原発を再稼働させないからだという。
原子力は語るのが難しい。
東西冷戦史観をベースとした右翼、左翼の議論に巻き込まれてしまい、右翼が推進、左翼が反対の立場をとってしまったため、議論が困難な状況にあるように見える。
また、役所に対する不信感から科学的に正しいと言われていても、政治や行政の論理で正しくないものが正しいとお墨付きを与えられているだけではないのかという不信感もある。
要するに、公害病などで当初は国が責任を認めなかったが、長い闘争の末ようやく認めるという事例があるが、このような事例から実は正しくないものが正しいとされたり、正しいものが正しくないとされているのかもという話である。
議論が膠着している原因はこの辺りにありそうだと思っている。
最近思ったのだが、この手の議論を超えるために必要なのは安心と補償なのかなと思った。
つまり、
・原子力災害が発生したら無条件に半径30キロ圏内の人は徳政令が発動され、個人、法人の借金は帳消しとなる。
・不動産などは無条件に所有権が解除され、固定資産税の支払い義務も消え、負債とならない。処分費用も国が負担する。
・半径40キロ圏辺りに大規模な避難用公営住宅を設置し、不便な仮設住宅で暮らす必要がない。普段は稼働率50%以下で公営住宅として運営し、災害発生時は即時収容が出来るようにする。
このような運用が出来れば、仮に罹災したとしてもその後の生活再建はかなり容易になると思う。
いくつかのブログなどをあたったが、補償金などが出てもそれだけでは全然足りないようなので、技術的な細部を詰める必要はあるものの、徳政令の発動のほうが罹災者にとってプラスになりそうだ。
この手の議論は過去にもされたのかもしれないが、安全神話の中で日の目を見なかったに違いない。
「事故は起こるもの」と現実を直視し、事故が起きても生活再建のためのフルのバックアップをするという姿勢を国がきちんと見せるだけでだいぶ議論が進むのではないだろうか。
技術的な正誤よりも、いざという時の備えを語ってほしい人のほうが多いように思える。